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 砂上のエピタフ 
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2017.04.19 (Wed)

劇場版遊戯王2016感想

やっとレンタルして見れたので感想をば。

見てない人がいたら、とりあえず見ろ!と言える出来です。
さすが評判が良いだけあるなーと思いました。
観終わった後、観てる最中にちゃんと興奮できましたし。

何を語ってもネタバレになるので、続きに伏せます。


【More・・・】


個人的にはいろいろ考えて80点の出来かなーと思います。

100点というにはちょっと不足の部分はあります。
文句ない点からささっと語ります。

○作画・音楽・効果音
 もうこれらの美術だけでも見る価値があるレベル。
 無茶苦茶動く上に綺麗で格好いい。
 海馬と遊戯が、やはり勇壮で素敵。
 ブルーアイズは美しく、ブラマジもクール!
 オベリスクでキャラがぶっ飛ぶのはやはり痛快!
 そして杏子もブラマジガールズもモブもセクシー可愛い。
 ドローすら言わないから、カードを引く音の緊迫感が引き立つ。
 ディスクの機械音がこれまた味があって良い。
 音楽もデュエルモンスターズアニメ懐かしの興奮が蘇ります。
 こりゃあ4D上映も行けるものなら行きたかったなーと思いました。
 デュエル芸術は現代にも生きていた! 感動した! 

○デュエル
 前作の超融合は物語そっちのけでデュエル中心にしていました。
 今回はある種デュエルを最小限に絞っていたと思います。
 ドローと言わない、効果説明も最低限、煽り口上も少なめ。
 かえって新鮮でスピーディで、原作初期の勢い重視に回帰していて、
 これはこれで2周目にカード効果を見ながら振り返る楽しさも生まれ、
 新しいデュエルの表現の形になっていたかと思います。 
 海馬の開発した流れるようにモンスターを召喚するような、
 スタイリッシュさを表現できていたと思います。
 説明しないから、カードの辻褄合わせ臭さがなくなって純粋に驚けるのよね。
 
 海馬と遊戯の強さはデュエル上でしっかり表現できていたと思います。
 可愛い顔してえげつない無限ループ、ガンドラぶっぱの遊戯さん凄まじいっす。

○原作補完
 ここでバクラの過去を補完してくるのにはびっくりしました。
 原作終わりの海馬のその後の妄執もとても納得のいくもので好感が持てました。
 こういう場でぬかりなく補完してくるのは、さすが原作者と唸らざるを得ない。
 
△藍神
 かなり設定を集中させてしまったが故に印象が分散していまった感が惜しいです。
 役割を担い過ぎていて、どのテーマも中途半端にならざるを得ない。
 とても勿体ない使われ方をしちゃったなぁと思っています。
 ここからは長文と独自解釈になります。
 
 彼の持つ役割は概ね出てくる順に並べると、①集合的無意識という争いのない世界(主人公らに対するアンチテーゼ) ②千年アイテムの因縁 ③未熟な存在であるということ の3つになると思います。

 このうち②については、バクラの因縁も絡めて深く描写されていて納得いきました。千年アイテムが正邪3つずつ、そしてパズルはどちらも併せ持つとかも20年目の衝撃の事実だったりしますし。

 問題は①と③のどちらにしても半端に描かれてしまったことです。
 
 ①に特化すると、ものすごい大人向けのテーマになって玄人好みになります。一見唐突にも見える最後のデュエル前の海馬の争いの歴史の演説。あれは恐らく 非暴力VS闘いのプライド の構図の名残なんじゃないかなと思っています。
 藍神の提唱する『集合的無意識』やら高次領域というのは、きちんと説明しようとするとユングの哲学まで遡らないといけなくなりますので端折ります。大雑把に言えば、個人同士(集団)の合意形成を助ける根底にある共通認識です。丸いものは柔らかいとか母性的だとか、本能的直観に近いそういうものです。
 この概念は情報化社会が発展することでさらに先鋭化すると言われています(lainとか攻殻機動隊あたりで詳しく扱っている)。瞬時に意識を共有でき、または相互監視できることにより、『集合的無意識』に反するものは即座に淘汰され、個人の認識が統一されて共通化されていくという流れです。マナー社会の行き過ぎやエンターテイメント小説の画一化なんかが、この一例になるのかもしれませんね。ある種現代的なテーマをオカルティックに取り込もうとしたということになります。
 ただしこれは慣れてしまえば魅力的な世界でもあります。みんな同じことを考えていれば、争いは少なくなるというわけです。居心地の良い世界は相互認識(チャンネル)の統一で成立し得るのです。これから世界が収束する上でのカギとなる概念の1つにはなると思います。
 ……なんだけど、これを映画1つで語り切るのは難しいよねぇ。個人的にはこれに特化して海馬と遊戯と真っ向から対立してくれれば燃えました。
 海馬と遊戯は、「『集合的無意識』、何それおいしいの?」側の育ち方をしています(遊戯については仲間との絆で『集合的無意識』に近い部分も一応ありますが)。二人とも原作の中で『闘い』を通じて大切なものを育み、己のロードを築き上げてきたわけで、常にカードで自己表現を鮮明にしていますし、個性が埋没する『集合的無意識』とは真逆の位置に立っているわけです。
 こういう構図も内包しているのだから、この対立をさらに際立たせれば、もっと藍神の脅威が際立ち、リアルへの警鐘感も出たかなーと思うと勿体ないです。

 もう一つの③の藍神の未熟さについても対比が弱かった。海馬も遊戯も目的がはっきりしていて成長しきってブレないのですが、藍神は最も動揺しやすい位置にあります。
 藍神は海馬が乗り越えてきた憎しみの連鎖の渦中にあり、遊戯の乗り越えてきた千年の因縁に縛られているのです。その一種の弱さを千年リングに付け込まれて、魔物化(暗黒化)してしまいました。
 藍神の弱さと、海馬と遊戯の強さの対比をもっと際立たせれば、もっと海馬と遊戯が原作で乗り越えてきたものを強調できて、ファンが感慨に浸れる感じになったのかなと思います。 

 新しい軸である藍神について、少し扱いを定めきれなかったのかなという印象が残ります。脅威としても踏み台としても煮え切らない印象があります。


△あの方の再臨
 これも賛否両論です。私は条件付賛成の立場です。
 確かに遊戯王は彼抜きでは語れません。最も登場を望まれているのが彼です。
 しかし、あれだけ盛大に見送りをやったからには、簡単に戻ってしまっては台無しです。だからこそ相応の準備やらイニシエーション、待望を伴った上での登場でなければ、原作ファンには受け入れがたいものとなることでしょう。

 理由付けはできます。
 次元が入り乱れて高次の存在も介入しやすくなり、千年リングの邪念も振り払わなければならなくなった。そこに相棒の危機が生じて降臨したということです。

 ただ、その直前に海馬相手にパズルを組み上げて更に《ファイナル・ギアス》で『闘いの儀』の再現までして、別れの儀式を再演しているんですよね。
 場の心情や流れからいって、待ち望まれた登場であったかと言われると、満場一致ではない感があります。

 ここまでのところで遊戯の心情はほぼ語られておらず、断片的に無理に忘れようとしていたり、名残惜しさを匂わせる程度でした。もう少し気持ち的に遊戯が会いたがっていたのであれば、彼の登場がもっと腑に落ちる感覚が得られたのかなと思います。
 例えば僕の決めた進路を見送ってほしいだとか、彼ならどう考えたんだろうなとか、そういった人生の岐路に当たっての彼の存在の大きさについて述懐されていたのであれば、その登場が意味をより持ってくれたのかなと思います。その不足については惜しかったと思います(でも敢えてそれをやらなかったのかもしれません。観客側の待望というのを表側に引き出すために遊戯に敢えて語らせないという効果も狙っていたかもしれません)。 


◎最後に
 いろいろ書きましたが、考察の余地を残してこそ深みのある映画であって、そういう面では様々に詰め込まれた充実した作品であったと思います。 
 TSUTAYAでは子供向けコーナーになぜか配置されていた本作品でしたが、全然子供向けではないというか、まさに遊戯王とともに20年を歩んできた人向けの作品だったと思います。
 上では納得行き過ぎて全然語っていないのだけど、海馬が主役としてすごく魅力的だったと思います。ある種アテムを待ち焦がれて手段を尽くすヒロインのような役割をやっちゃってましたし。あれだけ破天荒なことをやっておきながら、鬼気迫る勢いで納得しちゃう感じは海馬というキャラクターが自立してきちんと動いているからこそだと思いました。

 なんだかんだでトータルの感想は、今でもこういう作品を生み出すことができるんだなーという感動でした。遊戯王がまだ続いていくならば、こういった作品も再び作られるかと思いますので、これからの遊戯王の発展にも期待したいと思います。
5月からのVRAINSには健全に盛り上がってほしいものです。 
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21:23  |  遊戯王雑談  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●劇場版「村瀬の部屋」

村瀬さんの解説で、意識が明瞭になります。霧が晴れた!
どうも私はプラナに対して、かなり共感する部分はあれど、同じだけ不信感も覚えていたわけですが、その理由が頷けます。
プラナの境遇や目的、下卑たものを忌み嫌う感覚などは、色々と共感できるのですが、没個性的になるという部分で食い違うのですね。
(そういう意味では藍神が、プラナとしては好戦的であることと、プラナの中でも個性的であることが、比例しているわけですね)

私という人間は、武藤遊戯と闇バクラを足して2で割ったような人格で、理不尽な現実を前にして個性が尖りまくった側です。ウロボロスさんに惹かれるのも、好きというよりより共感なのかも。
ざっくり言うと、穏やかで温かい部分でKunaiさんとシンクロし、刺々しく冷たい部分で豆戦士さんとシンクロしていますが、いずれにしても埋没しようがない。悪く言えば協調性が無い。
大勢の弱者が団結したとき、加害者だけでなく、私のような人間も排斥されるということは、理屈でも経験でも実感しております。

闇バクラも、村の仲間や家族を殺された、いわば被害者側の人間ですが、プラナにとっては等しく敵視の対象であるという・・・そのあたりにプラナへの強烈な不信感がある私です。
そもそも千年アイテムが作られた目的(の1つ)がプラナの平穏の為なので、プラナはクル・エルナの村人を犠牲にして、自分たちの安寧を求めたことになります。
それはまるで、社会平和の実現の為に、抑圧されてきた少数者に更に割を食わせるような感じがありました。
日本でも、“汚れ仕事”を担ってきた人々が差別・迫害を受け、人格が歪み、反戦平和を唱える人々からも煙たがられるという状況が、延々と続いておりますが・・・。

そんなわけで、原作での思い入れから、闇バクラの補完は相当な注目点でした。
(マリクの件といいシャーディーが黒幕すぎる・・・w)

不信感を多く語ってしまいましたが、集合的無意識の良さもよくわかるんですよね。少なくとも非常に興味深いテーマです。言わずもがな「火の鳥」で描かれていたり、「デビルマン」シリーズで何度か出てきたり、「夢使い」の世界観とか割と好きだったり。
若干ズレますが、「スプリガン」のCOSMOS部隊や「死なない生徒殺人事件」とかも、私好みです。
このテーマを掘り下げるのは、私としても好ましい展開だったなァ。

ビジュアル面は、私も同じ意見です。
大迫力の連続で、まさに「これだけでも観る価値あり!」ですね。

デュエルの方は、説明を省いたのは若干の戸惑いはあったものの、凄くテンポが良くて、これはこれで斬新な切り口だと思いました。

再臨は、やはり賛否両論な部分ですよね。
視聴者の解釈でも、評価が割れるところだと思います。
既にKuaniさんところでコメントしてますが、私も無条件では賛成できない。
解釈次第で賛成に持って行くことが出来る、という立場です。

ちなみに去年映画を観てからというものの、DMリマスターを観ていて、海馬がヤンデレヒロインにしか見えなくなっていた私ですが、やはり村瀬さんもそう思いましたか!(握手
王様が他の男(城之内)ことを気にして、自分との決闘に応じてくれないから、タッグデュエルでも拗ねて憎まれ口を叩く瀬人サマ可愛いよ瀬人サマ。

「勘違いしないでよね、これは結束じゃないんだから! 貴様を利用しただけなんだからね!」(意訳)

「結束の・・・・・・力・・・」(即堕ち2コマ風)

(ツンデレ+ヤンデレ=見果てぬ先まで続く戦いのロード)
アッキー |  2017年04月25日(火) 06:14 |  URL |  【コメント編集】

●俺たちのバトルシティは終わらない VS 貴様にも見えるはずだ、見果てぬ先まで続くオレ達の闘いのロード!

 というわけで、私の感想が一種の清涼剤になってくれれば幸いでございます。いろいろ考える部分もあったので、整理も兼ねて書いてみました。

 プラナっていうのは良く言えば一致団結で、悪く言えば没個性です。私ら作家側に身を置いている人たちはどう考えても自己主張的なわけで、そういう意味ではプラナ的共同体に憧れることはあっても、到底近づけない、あるいは忌避しちゃうような酸っぱい葡萄的な存在なのかなと思います。
 実際そういった世界の実現は理想形ではあるかもしれませんが、アッキーさんのお見込みの通りに私ら側は排除やら抑圧されてしまう世界なのでしょうね。シャーディーも過剰正義的なものがあって火種を撒きすぎですよねw
 私もそういう薄汚い理想郷をぶち破る展開が欲しかったなぁとモヤモヤは感じていました。個人の死んだ安寧なんざ欺瞞だぜ!

 アッキーさんはどんどん自分を見つめていって欲しいなと思います。個人の混沌の中にこそ作家性は見出せると思います。エルさんのお話でも書いたけど、私はなまじ分解して整理しすぎたからこそ書くことがなくなってしまった感があります。もっと優しさにせよ激しさにせよ心が熱くなりたいものです。

 ビジュアルは本当に良かった! 音響も素晴らしい! デュエルが華麗! 本当にこの臨場感だけでキター!の大連続でした。ブルーアイズの光沢がふつくしすぎる!

 再臨もせっかく出すならもうちょっと意味が欲しかったなーと。想像に任せたいのもあるかもしれないけど、もっと条件というかフラグを積み上げて欲しかったです。

 海馬は原作漫画だとそこまで感じなかったのですが、アニメだと元来のオーバーエモーション&リアクションが発揮されすぎて、ものすごく極端な人に見えるのよね。静止画と動画の違いってすげー! ノア編を間に挟むこともあって、海馬がすごく感情の強い方に見えて、これってもはや男性というよりヒステリックな女性に近いレベルでもうあれこれってヒロインじゃね的な感じは激しく同意でございます。光と闇の仮面はもうニヤニヤが止まらんわw まだまだ海馬の暴走は見たいので、今度は30周年映画あたりに期待しましょうかw
 オレ達の遊戯王映画は終わらない!
村瀬カヲル |  2017年04月27日(木) 21:12 |  URL |  【コメント編集】

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