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 砂上のエピタフ 
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2016.10.11 (Tue)

1ヶ月経ったが驚くほど進展がない

今月の近況報告はちょっとネガティブです


【More・・・】


○かわいてしまったの?
 昔の趣味を掘り起こす感じの友人への寄稿を書き進めているのですが、筆の運びがものすごく悪いです。リアルが忙しいのもありますが、昔よりも全然集中力が維持できてないのが分かります。
 単純にモチベーションが低いのかもしれません。昔やり尽くしてしまった領域だから、遊び尽くしたゲームのリプレイをしているみたいで枯れているのかなぁ。
 書き上げるまでは盛り上げる可能性を諦めませんが、不甲斐ない仕上がりになってしまったら非常に申し訳ないことになります。何とかしたいものですが、義務感でやったという作業的な出来には絶対にしたくないなぁ。
 私は毒にも薬にもならないような作品を書きたくないのです。

○心も筆もかわいたの?
 というわけで、次作の構想も湧いてこないです。
 最近思うこととしては、小説では事実に勝てないんじゃないかという葛藤です。私が面白いと思って読んでいる2ch修羅場まとめなんかも、実際にあったと思うから面白いのであって、自分が何もかも手を加えてさじ加減しちゃったものなんて、死体を飾り付けしただけの代物じゃないかとさえ思えていきます。
 ただ、他人の作品を読むときはそんな冒涜めいた考えは湧いてこないので、多分自分への批判的な目線がもたらす打ち水のようなものなのでしょう。
 解決策としては、多分私はキャラが暴走して物語が引っ張られるようにした方がモチベーションを高められるのではないかということです。私は最も闘争的な物語になるように仕向けるだけで、勝敗を決めない方がきっと一緒に盛り上がって書けるのではないのかということ。
 基本的にすべて想定できると無味乾燥なのです。予想外の出来事と充実感があるからこそ、執筆は冒険めいて面白いのです。私は私の力が迸るように、水脈の満たし方も考えなければならないのです。 


○カルドセプトが面白い その2
 1か月かけてまったりとストーリークリア。物語自体がボリュームあったし、真相も二転三転したりして面白かったです。
 あとはチャレンジクエストの消化です。1試合やってうまく勝利できると、心地良いストレス解消になりますね。
 飽きたらブックを変えつつプレイしてます。今はネビロスブックを組んでますが無抵抗の相手を組み敷く(意味深)感じがとても楽しいです。今作は侵略中心で組むと面白いなぁ。

○ドラテンが忙しい
 そこそこ楽しいから、リターンも少ないけどついついやってしまう。節度とか距離を考えないと、他趣味の時間が無くなるなぁ。
 まぁ特別に趣味を持つ必要もないのだろうか。充実した時間潰しができていることには変わりがないのかもしれない。
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19:46  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●安定感の良し悪し

ギクッとするようなことを言ってくれますねぇ。
私自身、10年ほど前に比べると随分と安定感を得たと思う反面、当時のがむしゃらな集中力が今現在どうなのかと考えたとき、失ったもの・乾いた部分は少なからずあるように思います。
濁った水でも潤いなのか、苦痛と不安定から幾許かでも解放された分だけ、「危機感が足りない!」な状態に陥っているのかもしれないです。
漠然とした不安感に、常に苛まれ、蝶の幻覚を見ているときの方が、現実を超えた幻想の世界へ没頭できるのかと思うと、リアルとフィクションの関係性も他人事ではないと感じつつ・・・何だか危機感を損なってしまっているんですよね。

そういえば私のキャラはよく暴走しますが、それは私が上位自我を置いているからだと、自分では分析しています。能力や思想が自分以下のキャラクターが多い話を作ると、なかなか動いてくれません。
全てを想定して、自分でキャラを動かそうとすると、無味乾燥かどうかはわからないのですが、しんどいんですね、私の場合。疲れて筆を投げてしまいます。

相違点としては、私むしろ、現実のシリアルキラーの話などを聞いて、「これがフィクションなら、もっと面白かったのに」とか思うタイプだったりします。
史記なり三国志なり幕末なりも、(内容的にも心情的にも)半ば創作として読んでいるからこそ面白いし、シリアルキラーの話なども、創作ならもっと面白く出来ると思うことがあります。

・・・ただまあ、当然ながら、「やっぱ現実には勝てないよなァ」と焦燥感に駆られることもありますが。
寺田寅彦が握り飯の具に砂糖の塊を入れていた驚愕エピソードも、創作なら「よくあるキャラ付け」で済まされてしまうレベル(もっとゲテモノを好んで食べるキャラが多すぎる)なので、現実だからこそ面白い話も多いですよねぇ。

こうして文章を読んで、考えたことを書き連ねているだけでも、いろいろと感覚が活性化してくるので、なんとなくキーワードは「他人」なのかな、と思います。
どうしたって自分とは相容れない部分があるゆえに「他人」ですが、閉塞状況や冒涜的な思考から解放してくれるのも、「他人」との交わりなのだとヤスパースも言ってた・・・はず。(うろ覚え
アッキー |  2016年10月13日(木) 02:11 |  URL |  【コメント編集】

●激動では筆が持てず、安寧では剣が錆びる

 同じ釜の飯感が漂ってくるレスだ!

 私は実生活も私生活も安定してしまっているので気分がどうしても凪いでしまう感があって、今の自分に鬼気迫るものが書けるのかよという焦りがあります。
 激動の渦中にいて、飢餓感に苛まれていた時の方が、書くための熱量があった気もしますし、ですがあの時では冷静には書けないでしょうし、そのときそのときの自分の持てる材料でベストを尽くすしかないのかなとも思います。

 キャラについてのアッキーさんのコメントは素晴らしいヒントを感じます。
 確かに自分より基本的に劣る人間を書くよりは、勝る部分があるキャラを書いた方が面白がって書けますね。リスペクトが生じるというか。自分が通り過ぎてしまった部分を再体験させるだけだと、本当に気分が盛り上がらないです。
 それを上位自我と定義するのも良いと思います。自分の部分を抽出して激化させたものが一番盛り上がりやすいのかもしれません。

 確かに三国志とかはフィクションだと分かっていても面白い。面白ければ何でもありを忘れてはいけないですね。ロマンって大事!

 創作だとどういった嗜好も展開も自在なので、どれも出尽くした感があります。週刊誌も実話風にまことしやかに読ませるからこそ面白味や臨場感が出るといいますか。

 一番の刺激は他人の創作活動な気がします。そういう意味では、精いっぱい考えて何かを書いている人の活動を実感できることが、何よりの励みになるのかもしれません。
村瀬カヲル |  2016年10月15日(土) 11:02 |  URL |  【コメント編集】

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