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 砂上のエピタフ 
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2012.12.10 (Mon)

【Thema songs】 シーシュポス 解説コラム

 更新が遅れましたが、7と8のトラックです。
 どちらも両極端ながら、普段私の感じていることに結構近いかもしれません。

【More・・・】


<解説コラム>

 要求されるから果たす。でもその要求は際限なく膨らんでいく。僕はどうすればいい――。そんな嘆きの果てを詩にしています。
 
 ここでは神話のその人のようにどれだけでも強くなって、甘んじてその労苦を引き受けることで克服しようとしています。
 嫌がって労苦を引き受けたら、どうやっても負けなんです。従ったのなら、相手の嫌な思惑に乗った時点で負け。満たしきれなければ、理不尽な要求であっても力不足感が自分を苛む事になります。その克服として、相手の考えている以上に軽々とこなすか、それ以上に楽しみを見出したのなら、それで勝てたことになるでしょう。そのときその人は身体は不自由でも、克服する自由を身体の奥底で実感しているからです。

 ですが、もう一つ道はあって、それは逃げることです。そもそも要求を全部満たすなんて、かなり無理なことです。やらなくてもいいことだってあります。ただの嫌がらせでしかないかもしれません。延々と立ち向かうことは、ともすれば自分を潰すだけのことになりかねません。しかし、そのときには逃げ出した罪悪感がその人を苛むかもしれません。さらに言えば、従ってきただけでも、そこに幾分かの大事なこともあったはずです。それをスポイルしてもなお、その人は大事なものを見出すことができるのでしょうか。これまでの生活という穴を埋めることができるのでしょうか。

 だからこの場所で、立ち向かうことを選んだ歌詞の主人公。それが覚悟の尊き道筋になるのか、それともただの自滅になるのか。それはまだ誰にも分かりません。でも、限りなく負けに近い状態であっても、救いようのない状態にならないように、じっと耐えて戦い続けている人はきっと多いと想います。そして、その勝ち目のない戦いを延々と強いられている人たちは、きっと段々と増えている気もするのです。それでも心の自由を保って、何か熱を保っていきたいものですね。

Near Song:なし
(『シーシュポス(シジフォス)の神話』自体は、アルベール=カミュの著作による解釈が原点となっています。ですが、それほど元ネタに忠実なことを語っているわけではないです)

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21:43  |  Thema songs  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

●我々は、賽の河原に住んでいる

この解説が、私の小中学校時代の状況を的確に分析しているようで、村瀬さんエスパー?
・・・もとい、それだけ普遍的なことなのでしょう。敗者になる運命を強いられている人々が、例えば90年代あたりと比べると、明らかに増えてきていると感じます。

嫌々引き受けたら、どうやっても負け。これなんですよね。
悪くもないのに、人数のゴリ押しで一方的に謝らされた経験。
非は相手にあるのに、自分のミスを前に出されて、両成敗的に謝らされてしまった経験。
そのことが今でも濃い澱として残り続けています。
理不尽に従うくらいなら、逃げる方がいいと思っています。
結局のところ、小中学校で私に求められていたのは、「ストレスの捌け口になる要求」を満たすことでしたから。

かといって、学校から逃げれば良かったのかというと、現実問題として、そうはいかなかった面があるというのが苦々しいです。
学校に通っていたことで、幾分かのメリット(主に能力方面)があったことは事実で、逃げていたらその穴を埋めれていたかどうか。当時の状況を冷静に分析すると、埋められなかったと思います。罪悪感などは微塵も湧かなかったと思いますが。
かつての私は、とても冷静にはなれず、「あのような家畜小屋に人間サマがいるべきではない」みたいなことを主張していて、それは間違ってないと今でも思っていますが・・・。

・・・労苦全般でなく、理不尽な嫌がらせ限定で話してしまったので、若干趣旨からズレてしまった気がしないでもないです。

ただ、ふと思ったのは、作家というのも人のストレスを解消する存在ではないかということです。(勿論それだけではないですが)
人に精神的充足を提供するという部分だけはそのままに、ゴミ箱からマッサージチェアへ転身、感動やカタルシスを与える存在になったということなのかもしれません。
どうして毎日ブログを更新できるのかと、何度か訊かれたことがあり、自分でも上手く答えられていなかったのですが、自由を体の奥底で実感しているからというのが答なのだと思います。
アッキー |  2012年12月16日(日) 03:54 |  URL |  【コメント編集】

●不条理へ朗らかに歩みだす自由を感じている!

 というわけで、同じ釜の飯を食べてきた村瀬でございます。

 なんというか、私も学校関係では結構理不尽な思いをしてまいりました。学校って、いかに理不尽なことと折り合いをつけることを学ぶか、という養成機関な気がします。そのくらいどうにもならないことが多かったような気がします。シーシュポスの歌詞自体は割と労働寄りですが、思い返せば学生時代にもそんな気持ちに延々とさせられていた感じがしますね。むしろ今よりも視野が狭くて、ずっと逃げ場がない気持ちを味わっていた気がします。物理的にも精神的にも、学校って確かに逃げ場がないですよね。その深刻さは社会よりキツいかもしれません。大人なら自由だけなら、あるにはありますから。

 これまで掃き溜めみたいなことをさせられてきたわけですが、確かに作家としてストレス解消をできるようにそのまま成長したのかもしれませんね。しかし、今度は強制されてやってるわけではないのもポイントですね。
 小説や詩は相手への押しつけが少ないのが良いところです。飾らずに構えずに、素の自分のままその媒体に触れられる気がするのです。本の前だけでは弱い自分でいても誰も責めません。本音で本に求めても、誰も傷つけることはありません。そして、自分の時間で本に身勝手に接することができる。なかなかそういう娯楽って類を見ないと思うのです。ほかは礼儀もあれば、時間的制約もあったりしますし。
 自分で自分の感じたことを大胆に書ける自由。私は残すことを目的に書く面が大きいですが、それも立派な書く意義だと思います。むしろチャレンジングで意欲的で、悲壮感と喜びに満ちた実感だと思います。不自由を感じてきたからこそ、私たちは自由をより深い意味で感じることができるのかもしれませんね。
村瀬薫 |  2012年12月16日(日) 17:41 |  URL |  【コメント編集】

●中途半端に神話系に詳しいのは中二の嗜み

 アッキーさんと村瀬さんのようにオーバーレイネットワークを構築できるほどにはシンクロ率が高くないのですが、所々で心にぐいぐい来るので、ときたまーにコメントさせて頂きます。

 私もわざわざ小説なんてものを書いている人の例にもれず(?)、早くは小学生のころから大多数の人たちへの違和感とか疎外感めいたものを感じていて、それこそいじめだの何だのの欝イベントもそこそこ経験してきたわけなのですが。
 自分は特別だからと中ニったり、良質のエンタメを享受し続けられるなら他はどうでもいいやと開き直ったり、あとは現実逃避するためにちょっとだけ努力してみたりとか、色々なメンタリティや環境の推移を経て、今現在はそういうの全部ひっくるめて良かったなぁと思えるようになったのは、まあ運が良かったです。

 とはいっても、根本的な問題を自力で何か解決したかというと、多分してなくて。
 ほとんどの少年向けエンタメでは、自分の置かれている望まない状況や自分自身の心の弱さや過去のトラウマと正面から向き合って何かしらの折り合いをつけて昇華させることが必須レベルに求められますが、そういうの読んでて、かなりぐさぐさ刺さるんですよね。最終的に弱いままというケースでも、最低限何かしらと闘った姿勢を見せないと「わるいこと」扱いを受けて説教されてしまう。
 それはそれでカタルシスありますし憑き物落としは好きなんですけど、ちょいと弱者に厳しすぎやしませんかねとw もうちょっと強制イベントが発生しない話があってもいい。
 (純)文学に寄ってみるとむしろそういう話が主流なんですが、あれは抱えてる悩みが抽象的すぎたり主人公の思考が高度すぎたりで共感できないケースも多くて。あ、うん……分かるけど、もうちょっと気楽に生きよ? ってこっちが言いたくなってどうするよって感じ。
 というわけで「自分に近いメンタリティの主人公sの心境語りがメインの内省的なライトノベル」あたりが私にとって一番しっくりくるラインなのですが、まぁ、数えられるほどしか該当作品ないよね、当然だよねw アレとか最初は期待の新人みたいな扱いだったのに売れなさすぎてこないだ事実上の打ち切りだしさぁ!(慟哭)

 ……これはどの詩に対するコメントなのか途中でよくわからなくなりましたが、まぁ全体的にということで。
 もしくは詩とか全然関係なくただの問わず語り。

 それでは、またいつか気が向いたときにでも。
豆戦士 |  2012年12月17日(月) 18:40 |  URL |  【コメント編集】

●異質なる物書きたちの憩いの場

 私も中二してない人に、神話関係の用語をすらすら説明して、半分引かれたこともあったなぁ。そして、逆に尊敬を受けて、こっちが申し訳ない気持ちになったこともあります。

 青春小説は確かに根本的な問題に、割と真っ向から向かうことを要求されますねぇ。それ以外の道でどうにかこうしてやっていく人のほうが多いですし現実的なはずですが、確かに不可思議な点もあります。そういう憑き物落としが主流であるのは、憧れにしたって、物語性の問題にしたって、明らかにバランスは偏ってますよね。
 そういう比率でもカタルシスがそれなりに得られるものは私も好みですが、数えられるほどしか知らない感じです。漫画だけど、『ほしのふるまち』とか『淀川ベルトコンベア・ガール』あたりはそれに近い流れを書いているのかもしれません。つーか、私もそういう作品好きだから、秀逸なものがあるなら是非教えて!

 割と問わず語りを引き出させるのも、この詩の目的ではあるかなと思います。歌詞を眺めてると、何となしにいろいろ考えたくなるものですしね。
 またまた、何か心に浮かび上がるものがありましたら、どぞどぞ。 
村瀬薫 |  2012年12月18日(火) 19:45 |  URL |  【コメント編集】

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